麻中之蓬

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「せんぱーい! 鉢屋三郎せんぱーい!」
 一年生の元気な声がきこえて、八左ヱ門は振り返る。振り返った先には名前を呼ばれた三郎が、どうした、なんて膝に手をついて腰を曲げ、目線を合わせて、一生懸命にできごとを話す一年生の言葉に耳を貸している。

 その様子を八左ヱ門は感慨深い気持ちで眺めるのである。
 そもそも鉢屋三郎という男、こう言っては何だが少々人見知りの気がある。加えて、八左ヱ門のような農家の大家族の出でないのだろう、自分より幼い者に対して免疫がない。詳しく聞いたことはないが、年長者に対してはいくらでも口が回るので、大人に囲まれて育ったのかもしれぬ。
 それで何が問題かというと、低学年の内は特になにも起きなかったのだが、四年に上がる頃に急に発覚したことには、鉢屋三郎、下級生に対してやたら怖がられるのである。一度などは、雷蔵の新しくできた図書委員会の後輩、能勢久作を泣かせてしまって、雷蔵をこっぴどく怒らせていた。
 話を聞くに、後輩を構いたいは構いたいのだが、うまい構い方が分からずに突然変装で驚かせたらしい。雷蔵の顔をした先輩が急に中在家の顔に変わったものだから、何も知らない一年生だった久作は混乱して当然である。
『それは怖かっただろう、ごめんよ。三郎に顔を貸してやった僕が悪かったね』
 そんなことを言って後輩を慰める雷蔵を、三郎はいじけた顔で見つめていたっけ。そう、あのときの雷蔵が、ちょうどこんな風だった。膝に手をついて腰を曲げ、目線を合わせて、泣きながら一生懸命話す一年生相手に、うんうんと頷いて——

「うん、それはなあ」
 ひととおり一年生の話を聞いた三郎は曲げていた腰を伸ばしながら、土井先生の顔になって、なにやら解説を始めた模様。用件は忍術に関する質問だったらしい。ふんふん、と興味深げに頷く彼らを前に、最後は「教えたはずだー!」なんてお決まりの文句まで付けて、何故かそこだけ伝子さんの顔になるものだから、一年生はどひゃあと揃って腰を抜かしている。
 相変わらずのいたずら癖は鳴りを潜めやしないが、今年の一年生に関しては、三郎を怖がっているという話は聞かない。それはきっと、一年は組のくそ度胸だけが理由ではないだろう。
「ありがとうございましたー!」
 驚きながらもちゃんとお礼を言うよい子たちに笑って手を振った三郎は、いつからこちらに気がついていたのか、そのまま八左ヱ門の横に並ぶと、しれっとした顔で肘で脇腹をつついてきた。
「なんだよ、にこにこして。どうかしたか」
 指摘されて、初めて自分が笑っていたことに気付く。八左ヱ門は正直に白状した。
「三郎、最近ますます雷蔵に似てきたなって思ってさ」
「? そりゃあ、日々変装技術を磨いているからな。当然だとも」
 麻の中の蓬とはいうが、蓬のふりした麻みたいなやつであるから、あまり言って天邪鬼をぶり返されてはたまらない。
(そういうことじゃないんだけど……、まあいいか)
 というのは、八左ヱ門の心の中だけの声である。


【麻中之蓬】(まちゅうのよもぎ)
曲がりやすい性質のヨモギでも、まっすぐに生え育つ麻の中で育てばまっすぐに育つということから、よい人と出会えば、決してねじ曲がることなく、まっすぐで正しい人間になるということのたとえ。https://dictionary.goo.ne.jp/word/麻中之蓬/

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